倅が譲ってくれた「PowerBookG4」が動かなくなった。「Software Install and Restore」などを使って修復を試してみたが、どぅしても起動できなくなってしまった。万策尽きてパソコン販売店に運びこんだが結局ダメ、そのあげく「なにぶん古い機械ですから寿命がつきたんですね、新しい製品をお見せしましょうか」と、のたまった。そろそろ寿命が尽きかけた八十二歳の老人に心ない一言。腹が立ったがどう使用もない。
幸い、もうひとつ古いPCを使っているので、とりあえずは不便はない。しかし、ツイッターがうまく動かない。倅のツイッターを見ることで電話やメールをしなくても、元気にしていることを確認して安心していたが、それができなくなってしまった。
幸いブログは使えるので、それが慰めだ。
CDのMacOS10.4を探しているが、そんなものは広島では見つかりそうもない。今年度の確定申告もまた手作業に逆戻り、まあ不便を感じるのは今の所それだけだ。当分我慢して「Power Mac」と付き合うことにする。
傘寿の抵抗・Yの備忘録
2011年9月5日月曜日
旅館と食事
長男から『快気祝い』ということで温泉旅行に誘いを受けた。ありがたいことである、しかし、一つだけ気が重いことがある。
歳をとって胃が小さくなり、旅館で出てくる夕飯が多すぎるので考えただけで胃が痛くなる。
旅館の評価基準の一番にあげられるのが食事の量と質であるらしい、だから、これでもかこれでもかと御馳走が出てくる、若いときにはそれで満足したものだが歳をとるにつれ荷が重くなって来た。昭和一桁生まれは出された食事を残すことに耐えきれない抵抗感がある、年寄りがずんずん多くなって来た昨今、旅館も考え方を変えたらどうだろう。年寄りなど来てくれなくても良いというのならそれでいいが、今時日本の消費を下支えしているのは年寄りである。そんなことを考えていたところ『オヤ!』と目についた新聞広告があった、山口県下松の「笠戸島ハイツ」という宿で宿泊プランの一つに『夕食は少量でという方向けのプラン」があり「これはいい」と思わずつぶやいた。元は国民宿舎の小さな宿である、しかし、時代に合った好プランを実現した先見性に敬服した。量は少なくて良い、その土地で穫れた旬の味を味わえれば、それが一番いいのだ。量を少なくして宿賃安くしろと言うのではない、
これからは年寄りのニーズを察知した心配りのある宿屋が繁盛するだろうな、と、勝手なことを考えている。
2011年8月16日火曜日
衝撃的な同窓会名簿
今日故郷から同窓会の名簿が送って来た、名簿の最後に物故者の名前が載っていた。
それを見て愕然とした、物故者総数76名、同窓生全員146名のうち既に半数以上が鬼籍に入っていることになる。合掌!
昔の中学校は小学校6年生から高等科2年生まで受験でき、私のように早生まれの6年生から入ったものと、高等科2年から入ったものとは数えて3歳の開きがあった。従って平均年齢は私より2歳ほどは高いだろう、それにしても半数以上が亡くなっているとは、改めて自分の歳を思い知らされた。
そういえば私だって18歳の時受験勉強のため盲腸炎をこじらし医者から見放されたこともある、幸い命は取り留めたが、半年以上入院を余儀なくされた、62歳のときには心筋梗塞を患い心臓の筋肉が半分壊死してしまった、医者に云わせればかなりの重症だったとのこと。つい最近は不整脈で救急車で運ばれた。いつ鬼籍の仲間入りしていてもおかしくなかったものを、思えば図太く生きながらえて来たものだ。
どうせ永くない命、面白可笑しく生きて行きたいものだと思うことしきり。
2010年10月17日日曜日
週刊誌化した議会と新聞
ちょっと調べたいことがあってgoogleで検索したがどうしても見つからない、疲れたあげくためしに「米原正尚」と入力してみたら思いがけないものが画面に出てきた。25年程むかしOR学会機関誌に発表したわたしの論文である、おそらく学会で入力したものであろうが初めてお目にかかった。ずいぶん長い文章だったが懐かしく読み直してみた。
まだ若く仕事が楽しかったころである、そのころわたしが部下に厳しく言っていたことの一つに『会議などでひとの提案に反対する場合は必ず対案を示せ、時間の無駄を避けるために対案のない反対は賛成と見なす』というのがあった。若い部下たちの成長にはかなり役立ち成果があったと自負している。なぜこんなことを思い出したか、それは最近の議会での遣り取りを思い浮かべたからである。
「仙閣諸島問題で政府のとった対応は生ぬるい」、人を替え場所を替え政府のとった対策を責め立てる。しかしどうすれば良かったのかは誰も触れない。触れないと云うよりはなんにも対案がないのが実態なのだろう。だったら何も言うな、空虚で時間の無駄だ。まさか自衛艦を派遣して[ドンドンパチパチ」やれと言う訳でもないだろう、今後のこともある「こうすべきだった」「こうしたらよかった」[今後はこうすべきだ」と、責任ある対案を示して政府を追及すべきであろう。腹に据えかねた官房長官が、「もっとも拙い質問だ」と云いたくなるのも無理は無い。野党の議員は全く無責任な週刊誌と変わりない。新聞テレビも同じだ、論争の最低のルールすら知っていない。
と叫んでみても儚い[傘寿+1の抵抗」か!!!!!!
2010年10月13日水曜日
猛暑の爪痕

今年の夏は暑かった。パソコンのある部屋には冷房がないので10分居るのが限度、ブログなどとてもじゃないが書いてはおられなかった。やっと凌ぎやすくなったので久しぶりに机の前に座る気になったところ。
幸い体は比較的健康に過ごすことができたが、一番被害を受けたのは庭も樹木と草花、炎天下にすっかり傷ついてしまった。まず竜のヒゲ、20年前に10株買ってきてやっと庭一面に増やしてきたものが、毎日直射日光に曝されすっかり茶色に枯れてしまった。(左上写真)
つぎに『ハナミズキ」、そもそも暑さにはあまり強くないので秋を待たずに葉が落ちて惨めな姿になってしまった。来年咲く花芽もごく僅か、少なくてもよい咲いてくれるかどうかが心配だ。(右上写真)
2010年3月16日火曜日
Aランチ
先日のこと、昼前になって家内が街に出掛けると言い出し「昼飯どうしようか、用意しているとおそくなるし」とつぶやいた。「外でうどんでも食べればいいじゃないか、俺は冷凍食品を食べるから心配するな」と返すと、「なんでうどんなの」と不服そうに云う「じゃー何を食べるつもりか?」と、冗談まじりに問い返すと「Aランチ」ととっさに返ってきたので思わず二人で「古い」と大笑いしてしまった。
私たちが広島に移って来たのは40数年前、育ち盛りの二人の男の子お抱え、おまけに前の年隣から出た火災に類焼して無一物になっており、生活はとても苦しかった。
その頃家内は愚痴も云わず「私のこと、皆さん人形みたいと云ってる」と明るく振るまい暮らしていた。「人形みたい」とは、美しいとか可愛いという意味ではなく何時も同じ服を着ていると云うことである。街に出掛けるときも学校の参観日にも常に同じ服、辛かったであろうが懸命に生きていた。
そんな一家の楽しみは、当時ひとつしかなかったデパートの屋上遊園地で子供たちを遊ばせ、大食堂で食事をすることだった。そしてその理想の献立が「Aランチ』、ランチにはA.B.Cのランクがあり最も豪華なのが『Aランチ」だった。しかしそれは見果てぬ夢、結局は安いうどんかラーメンせいぜい奮発して『Cランチ」、楽しいそしてちょっぴり淋しい思い出である。
今はデパートの大食堂もなくなり、もちろん「Aランチ」もない。食べ損なった恨みが40年経ったいま、つい口に出たのか、久しぶりに老妻を愛おしく感じた。
2010年2月21日日曜日
光の春
終日明るい日差しの降り注ぐ春らしい上天気だった。2月に入って初めではなかろうか、実に久しぶりの青空で心も晴れ晴れとしてきた。
光に誘われて外に出てみると風は意外と冷たい、思わず首を竦めてしまう。昔の人はこの季節を素晴らしい言葉で表現している、つまり俳句の季語で「光の春」と云う。風は冷たいが暖かそうな日の光はすっかり春を思わせる、まさに今の季節が「光の春」である。俳句の季語には秀逸なものが多い、光の春もその一つで「なるほど」と、思わず膝を叩きたくなるような、まさにそのものピタリと言い表した言葉である。
今日は私の誕生日だった。これからの一年、今日のような穏やかな一年であって欲しいものである。
二人の嫁からの贈り物、そして孫娘からの祝いのメールなど素直に嬉しかった。
妻がどっかに夕食を食べに行きましょうと誘ってくたがいささか億劫にも思えて、冷凍のズワイガニを買ってきて二人でかに鍋を突つくことにした。
2010年2月11日木曜日
小沢捜査に思う
検察の思惑は外れ、小沢幹事長に「白だった」と結論を出さざるを得なかった。
この間の経緯をみながら、ふと松川事件を思い出した。昭和24年8月、東北本線の脱線事故を受け、すぐさま国鉄労組、東芝労組の先鋭分子による行為だと予断した検察と警察は、チョイ悪だけどひ弱な、しかも未成年だった赤間勝美を別件で逮捕し、嘘の自白を強要し架空の「松川事件」なるものを作り上げてしまった。
ひょっとしたら今回も、見るからに気の弱そうな石川議員を逮捕し、第二の赤間少年にしょうとしたのではないか。
ところがどっこい石川議員は赤間少年と違って図太く検察が期待する役割を果たしてはくれなかったという訳だ。
野党やマスコミも未練がましく、いつまでも幹事長辞任だ、議員辞職だと騒がずに、本来の予算審議などにせいを出したらどうだろうか。
2010年1月15日金曜日
金のなる木が咲いた
十数年ぶりに『金のなる木』が咲いた。以前大きな植木に咲いていたが、老木になって枯れてしまった。その枝を二本挿し木しておいたものが大きく育ち、やっと花が咲くようにまでになったものである。
変哲もない花だが名前が良い、何となく縁起が良く嬉しい気持ちになった。今年は良いことがありそうな気もしてきた。そういえば今年最初の『ロト6』で1000円が当たった、ここ何回かカスばかりだったのでわずか1000円でも晴れ晴れとした気分になれた。
15日には孫娘「あすか」の成人式を祝うこともできた。小さい頃からよく面倒をみていたので「大きくなったなあ」と、大きな喜びとちょっぴり淋しさを感じたりした。
もうひとつ、3月には東京の孫の入試の朗報を聞きたいものだと念じている。正月から良いことが続いているので、必ず良い便りがあると信じたい。
2009年11月21日土曜日
わがやの小さな冬

庭のアメリカみずきの葉っぱは散りはて紅い小さな実が淋しく残っている、気が付いたらサザンカの花が2〜3輪咲いていた、いつの間にか我が家の小さな庭にも冬が訪れたらしい。
八十路の声をを聞いてから何となく疲れを覚えるようになってきた、別にどこがどうってことはないが、なにをするのにも気怠い。60そして70、いま80、大台を超えるのは難儀なことだ、しみじみと歳を思い知らされる。
しかし、先日小学校1年生の「昔あそび」にゲストテーチャーとして招かれた。竹とんぼ遊びの指導を担当したが、小さな子供たちに「おじさん、おじさん」と囲まれ
「とんだ、やった」「おじさんできたよ」の歓声を聞いてすっかり若返った。
まだ当分は頑張れそう。
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