2009年6月28日日曜日
老いた壁掛け時計
広島に転居した年(1964年)の初冬、えびす講の大売り出しで家内が壁掛け時計を買ってきた、木製で褐色の縁、飾りもなにも無い地味な時計だ。しかし当時としては最新技術の水晶発振方式で、その正確さには正直びっくりしたものである。
あれから45年、この時計も相当くたぶれてきた。3年前のこと、どうしても動かなくなってしまった。電池を替えたり、叩いてみたりしたが動かない。諦めてとりあえず壁に戻しておいた、ところが、掛け方が悪かったのか突然落下してあちこちを損傷してしまった。もう駄目だ廃棄するしか無いと思ったが永年使っていて愛着もあり、セメダインを取り出して壊れた部分を接着しなおし汚れをよく落として壁に掛け直しておいた。すると不思議、なんと動き出したではないか。
その後、1年に1度動かなくなる。電池を替え時間を合わせては起動、しかし1時間もすれば停止。また起動、それを1週間程度繰り返す、何べんも何べんも気が着く度に。そうするうちに根気に負けていつのまにか止まらずに動き出す。
今年も先日また同じことを繰り返した。いま現在機嫌良く時を刻んでいる。
もうお払い箱にしてもいいではないか、とも思うのだが45年も付き合っていると自分の人生に重ね合わせて、とても大切なものに思えてならない。
私が動けなくなるのが早いか、この時計が早いか、ときどきそんなことを考えてしまう。
2009年6月22日月曜日
啼くまで待とう・・・・・
今年はまだホトトギスの啼き声を聞かない。
20数年前、この団地に終の棲家を定めて移ってきた年の夏、辺りの山々から聞こえてくるホトトギスの啼き声を始めて聞いたときの嬉しかったことは、今でも覚えている。街で生まれ、街で育ち、街に住んでいた私にとって、身近に聞く珍しい鳥の鳴き声はとても新鮮な印象だった。毎年この季節になると耳をそば立て、『ああ今年も来たか』とうっとりとして聞いたものである。
それがここ数年、その啼き声がだんだん少なくなってきた。辺りの山の開発が進み野鳥も棲みにくくなったのだろうか、淋しく思っていたが、遂に今年は啼き声が聞こえなくなった。
鳥が棲みにくいということは人間にも住みにくいということ、目には見えないが環境の破壊が猛烈な勢いで進んでいるということか、おろおろと『どうか早く来て啼いて欲しい』とひたすらに待ち、祈るばかりでどうしようもない。
「啼くまで待とう』と、家康は希望とゆとりをもって言えたが、私はただ待つばかり。
2009年6月19日金曜日
車のない生活のテスト
年のせいか、病院の駐車場で車のドアをガリガリと傷つけてしまった。ふと『何時まで運転できるやら』と心細くなってきた。デーラーに持ち込んだが一週間はかかるとのこと、代車をどうしましょうと聞かれたので『慣れぬ車でまた事故を起こしたら大変』と断ってしまった。といった訳で車のない生活の体験が始まった。
第一日目、家内と二人で整形外科のリハビリに行く、治療がすんだ後30分ほど歩いて最寄りのスーパーまで買い物に行った、かんかん照りの日差しの中を歩いたので家内は完全にダウン、『バスは何時頃でるの、買い物はもういいわ」と言うので急いで停留所まで走り、やってきたバスに飛び乗って目的を果たさずに帰ってしまった。なにしろ一時間に一本しかバスがないので不便きわまりない。夕刻改めて近所のスーパーへ買い物に。結局歩いたのは『運動になってよかった』と、自ら慰めて納得。
第三日目、車でよく行くスーパーで150点のポイントが付くのが今日まで、涼しい内にと急いで出かける準備、しかし今日もカンカン照り。二人で800円のバス代を払ってポイントを貰いに行くのがバカらしくなって止めた。
まだまだ車のない生活はできそうにない。
2009年6月9日火曜日
役には立たない雑学講座
数年前地区の社協事務局長をしていたことで、町内の老人を集めた『いきいきサロン』の結成に関わり、その後メンバーでもなくボランテイアでもない妙な格好で参画してきている。
その中で、話が途絶えなんとなく気まずい雰囲気になったとき、ボランテイアさんから『米原さん何か話がありませんか』と助け舟を求められることがある。とっさの思いつきで時の話題やらクイズなどを取り上げて時間をつぶすことになる。そんなことを繰り返すうちに『米原さん来月もよろしく』と、恒例化してしまった。
昨日も五月の例会があり『パーフェクトで成功した太平洋戦争でのキスカ島救出作戦』を取り上げて話をしてみた。
戦後生まれのボランテイアの人はもちろん、戦争を経験した年寄りもこの作戦については誰も知っていなかったのは意外だった。『初めて聞きました』『そんな美談もあったんですね』『海軍もまんざら捨てたもんでもないですね』いろいろな感想があったが、それを知ってなんの役に立つ訳でもないので、『役には立たない雑学講座』と呼んでいる。
ただ私にとっては話題を仕込み、頭の中で整理し話を組み立てていくことが老化を防止することに役立つものと、はりきっている。
2009年6月7日日曜日
怖いのは宗教だ
イスラーム社会には『ファトワー』と呼ばれる制度がある。ファトワーを発する権利がある聖職者が行う勧告、布告、見解、裁断のことを云う。国によっては法律に優先する場合もあるらしい。
有名なファトワーは、『悪魔の詩』の著者であるサルマン・ラシュディならびに出版関係者などに対して、イランの指導者ホメイニイ師が1989年に発した死刑宣告である。日本においても、邦訳者の五十嵐一が何者かに殺害されて社会にを与えた。ずいぶんと乱暴な宗教だなと当時感じたことを覚えている。
ところが他所事ではない、日本でもそれ以前に同じような事件があった。1960年のこと、『楢山節考』『笛吹川』の作品で知られる深沢七郎が中央公論に発表した『風流夢譚』のなかで、当時の皇太子・皇太子妃が殺害されるシーンを描いたことが問題となって、ペンを捨て各地を放浪せざるをえなくなった。『日本天皇教(私がそう呼んでいるだけ)のファトワーによる深沢の作家生命の死刑宣告であったと私は考えている。翌年には中央公論社社長が襲撃される嶋中事件も起きた。
悪魔の詩事件では、ファトワーを発したのはホメイニー師だとはっきりしているが、日本では一体誰が宣告を発したのか、解らないのが一層不気味である。
昨日の新聞に載った『天皇論』(小林よしのり著)の広告を見て、なんとなくこんなことを思い浮かべた。もちろん本の内容はまだ見ていない。
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