20数年前、この団地に終の棲家を定めて移ってきた年の夏、辺りの山々から聞こえてくるホトトギスの啼き声を始めて聞いたときの嬉しかったことは、今でも覚えている。街で生まれ、街で育ち、街に住んでいた私にとって、身近に聞く珍しい鳥の鳴き声はとても新鮮な印象だった。毎年この季節になると耳をそば立て、『ああ今年も来たか』とうっとりとして聞いたものである。
それがここ数年、その啼き声がだんだん少なくなってきた。辺りの山の開発が進み野鳥も棲みにくくなったのだろうか、淋しく思っていたが、遂に今年は啼き声が聞こえなくなった。
鳥が棲みにくいということは人間にも住みにくいということ、目には見えないが環境の破壊が猛烈な勢いで進んでいるということか、おろおろと『どうか早く来て啼いて欲しい』とひたすらに待ち、祈るばかりでどうしようもない。
「啼くまで待とう』と、家康は希望とゆとりをもって言えたが、私はただ待つばかり。
あれ?
返信削除ホトトギスってなんて啼くんだっけ?